メッセージ。 - diary
2006-02-23
# カナウィキ祭りがはじまるよ?
カナウィキ祭りの現場(?)。ふはは。面白いなぁ。とりあえずネタとして、Gaucheで実装してみようかなぁ。
個人的には、それほどカナウィキに情熱を持っていないのだけど、名前とURLがすっきり対応しているのは魅力的に感じる。Wikiで本を作る作業では、メールベースでWikiページにURLを連絡していたので、長いURLは抵抗を感じていたのです(メールでは長い行が折り返されるので)。
個人的には、それほどカナウィキに情熱を持っていないのだけど、名前とURLがすっきり対応しているのは魅力的に感じる。Wikiで本を作る作業では、メールベースでWikiページにURLを連絡していたので、長いURLは抵抗を感じていたのです(メールでは長い行が折り返されるので)。
# Wikiで本を作る
仕事関係で、「書籍を作ろう」という話があって、何人かで作業をしている。これまでもこういう作業は経験していたのだけど、書籍のようにボリュームが大きいのは初めて。
ファイル1つに収まるぐらいの原稿なら、メールベースで作業をしても問題がなかったけど、今回はちょっと大物ということで、原稿管理にWikiを使うことを提案し、実際に使ってもらった。で、1か月ぐらい運用してみて、「Wikiは編集には使いにくい」という言葉をいただいてしまった。ぎゃふん。
ここで言う「編集」とは、テキストのeditではなくて、編集作業全般を指しているものだと思われる。ちゃんとヒアリングしたわけじゃないけど多分。まぁとりあえず、そういうものとして考える。「どうして、Wikiは使いにくいと思われたんだろう?」
こういう作業でWikiを使う場合、ぼくが考えるメリットは3つある。
1つは、パーマリンクだ。Wikiを使っていれば、「どの文章のどこそこ」をURLという一意のキーで共有できる。Wiki実装によっては、バージョン番号もURLに含められるので、お互いが違うバージョンを見ていたということもない。文書が育っていくのを作業者で共有しやすい。
2つ目は、差分の表示機能。世の中には、プログラマ向けのバージョン管理システムがたくさんあるけど、普通の文章を管理するには使いにくいような気がしている。中でも一番気になるのが差分の表示機能で、行単位で差分を見せられてもぼくなんかの貧弱な脳では受け付けてくれない。もっと色付けしたり、見やすく扱いやすい形になっていてほしい。ぼくがターミナルエミュレータ+diffという貧弱な環境を使ってるからかもしれないけど。
3つ目は、くだらないことだけど文書フォーマット。たとえば表組みを含む文書をみんなで共有するにはどうすればいいか。 Excelを使うのか、Wordなのか、それともTeXか、ファイル名はどうするのか、組版用としてデザイナーさんに渡すときは、別途フォーマットが決まっている。うーんうーん。こういう問題を解決するのに、Wikiは適しているような気がする。
Wiki記法なら(TexやWordに比べれば)比較的誰でも使えるし、どの程度の作業にどの程度コストがかかるかとか、お互いにコミュニケーションしやすいように思う。CVSとかでの管理では、相手がどういうことを気にして、どういう作業をしたがっているのか分からなさすぎる。メールでのコミュニケーションはオーバーヘッドが大きすぎる。
まぁなんか、そういうことを考えていたんだけどなぁ。
ファイル1つに収まるぐらいの原稿なら、メールベースで作業をしても問題がなかったけど、今回はちょっと大物ということで、原稿管理にWikiを使うことを提案し、実際に使ってもらった。で、1か月ぐらい運用してみて、「Wikiは編集には使いにくい」という言葉をいただいてしまった。ぎゃふん。
ここで言う「編集」とは、テキストのeditではなくて、編集作業全般を指しているものだと思われる。ちゃんとヒアリングしたわけじゃないけど多分。まぁとりあえず、そういうものとして考える。「どうして、Wikiは使いにくいと思われたんだろう?」
こういう作業でWikiを使う場合、ぼくが考えるメリットは3つある。
1つは、パーマリンクだ。Wikiを使っていれば、「どの文章のどこそこ」をURLという一意のキーで共有できる。Wiki実装によっては、バージョン番号もURLに含められるので、お互いが違うバージョンを見ていたということもない。文書が育っていくのを作業者で共有しやすい。
2つ目は、差分の表示機能。世の中には、プログラマ向けのバージョン管理システムがたくさんあるけど、普通の文章を管理するには使いにくいような気がしている。中でも一番気になるのが差分の表示機能で、行単位で差分を見せられてもぼくなんかの貧弱な脳では受け付けてくれない。もっと色付けしたり、見やすく扱いやすい形になっていてほしい。ぼくがターミナルエミュレータ+diffという貧弱な環境を使ってるからかもしれないけど。
3つ目は、くだらないことだけど文書フォーマット。たとえば表組みを含む文書をみんなで共有するにはどうすればいいか。 Excelを使うのか、Wordなのか、それともTeXか、ファイル名はどうするのか、組版用としてデザイナーさんに渡すときは、別途フォーマットが決まっている。うーんうーん。こういう問題を解決するのに、Wikiは適しているような気がする。
Wiki記法なら(TexやWordに比べれば)比較的誰でも使えるし、どの程度の作業にどの程度コストがかかるかとか、お互いにコミュニケーションしやすいように思う。CVSとかでの管理では、相手がどういうことを気にして、どういう作業をしたがっているのか分からなさすぎる。メールでのコミュニケーションはオーバーヘッドが大きすぎる。
まぁなんか、そういうことを考えていたんだけどなぁ。
2006-02-21
# Wiki小話/Vol.6に行ってきました
Wiki小話/Vol.6に行ってきました。
ライトニングトークでしゃべらせてもらったので、そのときに使った資料を置いておきます。
尖ったWikiはどこにいる
‐わたしにとっての「尖ったWiki」。
YASWiki2実験室 ふじさわ
「尖った機能?」
「たとえばパラグラフ指向かな。」
●HashedWiki
→パラグラフ単位で編集可能
●WalWiki
→見出し(セクション)単位で編集可能
→でもなんのため?
→保留!
●とりあえず現状
従来のWikiはコミュニケーション指向になりがち。
→リストをネストして議論
→リストをネストして情報のカテゴライズ
→議論が発散しがち
→収束の機能が欲しい
●YukiWiki AsO改
→ページ自体がコメントの集まり
→どんどん追記。1行で意味が完結している。
→随想のような
→掲示板のような
→ときに議論も
→展開した話題を収束する「階層構造」
→発散と収束、緊張と弛緩。それらを受け止める器としてのWiki?
●YASWiki2の場合
→見出しを作るかわりにページ(章)を作る
→ページ(章)は複数のページ(章)を持つことができる
→すべてのページ(章)が名前を持つ
→すべてのページ(章)がパーマリンクを持つ
→すべてのページ(章)がRecentChangesを持つ
→すべてのページ(章)がRSSを出力
→すべてのページ(章)で検索できる
→すべ(ry
→検索結果もRSSを出力
●やってみたら
→マインドマップのような雰囲気(ある意味成功)
→階層が深くなり杉
→人間が読むページじゃない(読むんじゃない。感じるんだ!)
→こんなのWikiじゃない!
→ほかにもこんなWikiがあるはず!
→wemaとかそうなんじゃないの!?
●なぜパラグラフ/階層指向?
→いまどこにいるか知りたい(俯瞰したい)
→すべてがフラットって、なんか気持ち悪くない?
→なにか整理する仕組み
→とにかく構造をコントロールしたい
●Momoka
→階層をやめてみた
→変わりにタグを導入(階層が浅く、緩いつながりになるように)
→そもそもMomokaって?
→Message Oriented Meta Object with Kaleidoscopic A...
→メッセージ指向のメタななにか。
→万華鏡のようにページ群を見る……
まぁそれはいいとして。
パラグラフ指向って、なんなんでしょうね?
まぁそれもいいとして。
本題。「尖ったWikiはどこにいる?」
尖ったWikiは、
「こんなのWikiじゃない!」と言われるようなもの?
なのかもしれない……。
# はてなとか?
# CheckPadとか?
# Wemaとか?
Wiki開発はけっこう楽しい……。
裏をかえせば
良くも悪くも、日本のWiki開発者はそれで遊ぶことを目的にしているかもしれない。
開発リソースの不足。
ユーザーも不足。
テコになるようなツールを作りがちかもしれない。
悪く言えばユーザー不在。
理解してもらえない感。
作ってそれを誰に見せるのか。
作ってそれを誰が使うのか。
ユーザーとの距離が遠いのかもしれない。
とかなんとか。
おしまい。
ライトニングトークでしゃべらせてもらったので、そのときに使った資料を置いておきます。
尖ったWikiはどこにいる
‐わたしにとっての「尖ったWiki」。
YASWiki2実験室 ふじさわ
「尖った機能?」
「たとえばパラグラフ指向かな。」
●HashedWiki
→パラグラフ単位で編集可能
●WalWiki
→見出し(セクション)単位で編集可能
→でもなんのため?
→保留!
●とりあえず現状
従来のWikiはコミュニケーション指向になりがち。
→リストをネストして議論
→リストをネストして情報のカテゴライズ
→議論が発散しがち
→収束の機能が欲しい
●YukiWiki AsO改
→ページ自体がコメントの集まり
→どんどん追記。1行で意味が完結している。
→随想のような
→掲示板のような
→ときに議論も
→展開した話題を収束する「階層構造」
→発散と収束、緊張と弛緩。それらを受け止める器としてのWiki?
●YASWiki2の場合
→見出しを作るかわりにページ(章)を作る
→ページ(章)は複数のページ(章)を持つことができる
→すべてのページ(章)が名前を持つ
→すべてのページ(章)がパーマリンクを持つ
→すべてのページ(章)がRecentChangesを持つ
→すべてのページ(章)がRSSを出力
→すべてのページ(章)で検索できる
→すべ(ry
→検索結果もRSSを出力
●やってみたら
→マインドマップのような雰囲気(ある意味成功)
→階層が深くなり杉
→人間が読むページじゃない(読むんじゃない。感じるんだ!)
→こんなのWikiじゃない!
→ほかにもこんなWikiがあるはず!
→wemaとかそうなんじゃないの!?
●なぜパラグラフ/階層指向?
→いまどこにいるか知りたい(俯瞰したい)
→すべてがフラットって、なんか気持ち悪くない?
→なにか整理する仕組み
→とにかく構造をコントロールしたい
●Momoka
→階層をやめてみた
→変わりにタグを導入(階層が浅く、緩いつながりになるように)
→そもそもMomokaって?
→Message Oriented Meta Object with Kaleidoscopic A...
→メッセージ指向のメタななにか。
→万華鏡のようにページ群を見る……
まぁそれはいいとして。
パラグラフ指向って、なんなんでしょうね?
まぁそれもいいとして。
本題。「尖ったWikiはどこにいる?」
尖ったWikiは、
「こんなのWikiじゃない!」と言われるようなもの?
なのかもしれない……。
# はてなとか?
# CheckPadとか?
# Wemaとか?
Wiki開発はけっこう楽しい……。
裏をかえせば
良くも悪くも、日本のWiki開発者はそれで遊ぶことを目的にしているかもしれない。
開発リソースの不足。
ユーザーも不足。
テコになるようなツールを作りがちかもしれない。
悪く言えばユーザー不在。
理解してもらえない感。
作ってそれを誰に見せるのか。
作ってそれを誰が使うのか。
ユーザーとの距離が遠いのかもしれない。
とかなんとか。
おしまい。