メッセージ。 - diary
2006-02-18
# RSSに対応しました。
ふぅ。RSSに対応しました。
URIは昔と同じで、http://nnri.dip.jp/~yf/momoka.cgi?op=diaryrssです。
現状では、コメントが投稿されてもRSSに反映しない仕様になっています。これでいいかどうかは、動かしながら考えてみるということで。
URIは昔と同じで、http://nnri.dip.jp/~yf/momoka.cgi?op=diaryrssです。
現状では、コメントが投稿されてもRSSに反映しない仕様になっています。これでいいかどうかは、動かしながら考えてみるということで。
2006-02-13
# 表記の統一から徒然に
http://blogs.itmedia.co.jp/london/2006/02/asahi_9e95.html?ref=rssall
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/otashimasho/archives/50375268.html
個人的には、表記の統一というのは、良い効果もあるけど、悪癖も大きいんじゃないの?とずっと思っている。
著者が書いた原稿に、「表記の統一」という理由で編集者が手を入れる。そりゃあ、そうすることで読みやすくなることもあるので、否定はできない。でも、表記の揺れ自体が著者のオリジナリティでもあるわけで、それを殺すことになる。そういうことをしていいのか?
……そういうことを考える一方で、とんでもなく不細工な文章を仕上げてくる執筆者に困ることもある。表記の統一や文章の問題だけでなく、技術的な間違いが散見されたり、逆に広告的な主張が強く含まれていたり、さっぱり説得力がなかったり。こういう執筆者に「ちょっとここを書き直してくれ」とお願いしても、たぶん無駄だと思うので、ぼくの場合は自分で書き直してしまう(もちろん、問題が起こらない範囲で)。
下手な文章も、鼻につく主張も著者の味と思うところもあるけど、読者に読ませることを考えたら、なかなかそのまま載せるというのも難しい。直して載せるのではなく、もう没にしてしまうという手もあるだろうけど、雑誌の進行ではそれも難しいし。
そういうことをいろいろ考えるうちに、「原稿は著者のものではない」という考え方が落としどころかもしれないと(あらためて)思いはじめた。雑誌の場合はとくに、その本が売れなければ、著者だけでなく編集者や出版社にとっても死活問題になる。だから誌面は、読みやすく面白いものでなければならない。そのために編集の手が入るのは仕方がない面があると。
ただ、この考え方はスマートじゃない。コンテンツの面白さを追求する一方で、出版社の死活問題というオマケを抱え込んでしまっているから。それは面白さにとっては足枷以外のなにものでもない。また、マスにウケる方向に改変すると、オリジナルが含む毒が薄れてしまって、よくない。
出版社の死活や、マスにウケる方向性は、マスメディアだからこそ起こる問題だ。そこから解き放たれたインターネットには、そういうものはもう必要ない。ネットにおいても、編集の手を入れたりマス向けのコンテンツ振り分け器を導入したりできるけど、その手を使ったら、やっぱり毒を薄めることになる。ネットにあるコンテンツで一番面白いのは、結局のところ人手の介入しない、ワクにとらわれないものなんだろう。
『ASAhIパソコン』休刊に思ふ - 安藤怜のロンドン灯 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]しかし、この「表記の統一」が、どれだけ雑誌の売り上げに貢献してきたかは、実際のところ、よくわかりません。そして、出版界も不況が長引くにつれて、そういう部分にあまりコストをかけられなくなってきているようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/otashimasho/archives/50375268.html
# 2006年02月13日 kanose 『[ネット]雑誌の表記統一が何を生んだのかというのは考えてみると面白そう』
個人的には、表記の統一というのは、良い効果もあるけど、悪癖も大きいんじゃないの?とずっと思っている。
著者が書いた原稿に、「表記の統一」という理由で編集者が手を入れる。そりゃあ、そうすることで読みやすくなることもあるので、否定はできない。でも、表記の揺れ自体が著者のオリジナリティでもあるわけで、それを殺すことになる。そういうことをしていいのか?
……そういうことを考える一方で、とんでもなく不細工な文章を仕上げてくる執筆者に困ることもある。表記の統一や文章の問題だけでなく、技術的な間違いが散見されたり、逆に広告的な主張が強く含まれていたり、さっぱり説得力がなかったり。こういう執筆者に「ちょっとここを書き直してくれ」とお願いしても、たぶん無駄だと思うので、ぼくの場合は自分で書き直してしまう(もちろん、問題が起こらない範囲で)。
下手な文章も、鼻につく主張も著者の味と思うところもあるけど、読者に読ませることを考えたら、なかなかそのまま載せるというのも難しい。直して載せるのではなく、もう没にしてしまうという手もあるだろうけど、雑誌の進行ではそれも難しいし。
そういうことをいろいろ考えるうちに、「原稿は著者のものではない」という考え方が落としどころかもしれないと(あらためて)思いはじめた。雑誌の場合はとくに、その本が売れなければ、著者だけでなく編集者や出版社にとっても死活問題になる。だから誌面は、読みやすく面白いものでなければならない。そのために編集の手が入るのは仕方がない面があると。
ただ、この考え方はスマートじゃない。コンテンツの面白さを追求する一方で、出版社の死活問題というオマケを抱え込んでしまっているから。それは面白さにとっては足枷以外のなにものでもない。また、マスにウケる方向に改変すると、オリジナルが含む毒が薄れてしまって、よくない。
出版社の死活や、マスにウケる方向性は、マスメディアだからこそ起こる問題だ。そこから解き放たれたインターネットには、そういうものはもう必要ない。ネットにおいても、編集の手を入れたりマス向けのコンテンツ振り分け器を導入したりできるけど、その手を使ったら、やっぱり毒を薄めることになる。ネットにあるコンテンツで一番面白いのは、結局のところ人手の介入しない、ワクにとらわれないものなんだろう。
2006-02-12
# Wikiについてのアイデアリンク
http://cake.dyndns.org/sociewiki/index.php?mod=WikiView&name=Y2006M02D10#comment
SHIMADAさんのWikiパワーが活性化してきたみたい。Wiki屋さんにとってはすごくエキサイティングです。
Y2006M02D10 [ SocieWiki ]
SHIMADAさんのWikiパワーが活性化してきたみたい。Wiki屋さんにとってはすごくエキサイティングです。
2006-02-08
# メディアの役割はセグメントへのアクセスにこそある(んじゃないの?)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0602/07/news066.html
はてなブックマーク - 「こんな時だからこそ安定したサービスを」——ライブドアの技術者魂
ITmediaの記事に対するはてなブックマークでの反響を、メディア観という側面で見てみる。
岡田有花さんが書いた記事なわけだけど、この人ぼくに立ち位置が似てる気がする。技術者に肩入れしてしまってるんだよな。「技術者からの好感をもたれたいがための記事」とか、「やっと大手メディアが取り上げた」とかいう評価もあるけど、そうじゃないと思う。岡田有花さんは「向こう側の人間」ではないし、ITmediaが「大手」なわけでもない。
たぶん真実を突いているのは「理系白書な感じ」だろう。この記事は、記者が自分の思い入れを込めて書いている。ライブドアに技術があることを、記者はきっと、多くの人に知ってもらいたいと思っているように感じるんだ(つまり記者は我々の側(がわ)にいる)。そこには骨のとおったジャーナリズムが感じられ、良いことだと思う。だけど逆に、岡田有花さんやITmediaがこちら側にいることは、心配のタネでもある。この記事は「ITmediaはブログの延長線」という評価を招かないかと危惧するからだ。
たしかにこの記事の元ネタは、はてなブックマークやブログだろう。だけどそれは当然のことだ。結局のところ、メディアの記者が情報収集に用いる手法は、一般の読者と変わらない。それはテレビの記者も雑誌も同じ。にもかかわらず、テレビや一般メディアが権威を持つのは、「一般人には手の届かない情報源を持っているだろう」という受け手の幻想だ。
この幻想を守ることで、メディアは権威と権力を維持できる。しかしこの記事(とそれを公開しているITmedia)は、「はてなブックマーク」という誰にでも手の届くメディアを情報源にしていると明らかにしてしまっている。これでは「情報源の特殊性」という幻想を維持できない。
端的に言って、岡田有花さんのこの記事はモヒカン的だ。自分が何も特別な武器を持っていないと明言してしまっている。しかし、「武器を持っていない」と明言できるのは、何か別の強い力を持つからこそだ。本当に弱い者は手の内を明かすことなどできない。
メディアにとっての手の内とは何だろうか? それは、その情報から遠く離れたところにいる人にも、それを届ける能力にこそあるんじゃないのか。たとえば、宇宙科学における発見を一般の人たちに伝える力が、メディアに備わった特殊な(一般の人は持たない)能力だ。その情報は、関係者にとっては当たり前のものだけど、そうでない人間にとっては特別なもの。そしてメディアの役割は、「そうでない人」に対して情報を届けることにほかならない。
ぼくが今回の記事で心配するのは、この記事が「そうでない人に対して届くのか」ということだ。ITmediaは大手のマスメディアではない。大手のニュースサイトですらないのではないか。IT系の人間の一部だけしかこれを読んでいない可能性も高く、だとしたらこんな記事を載せることは、自らの首をしめるだけでなんのトクにもならない。権威を落とすだけで、本来記者が期待していただろう効果(技術者が頑張っていることを、技術者でない人たちに知ってもらうこと)がないからだ。
はてなブックマーク - 「こんな時だからこそ安定したサービスを」——ライブドアの技術者魂
ITmediaの記事に対するはてなブックマークでの反響を、メディア観という側面で見てみる。
# 2006年02月08日 tsysoba tsysoba 『[ICT]理系白書な感じ』# 2006年02月08日 know94space know94space 『一番得したのは、ITメディア。技術者からの好感をもたれたいがための記事。技術者万歳の無理やりな感じしかしない。』# 2006年02月07日 chihiroy chihiroy 『[ニュース] 素直にエールを。そろそろテレビ屋さんも一局くらい、こちらを報道したらどうなんですかね。』# 2006年02月07日 ululun ululun 『おまいら、記事の中身じゃなくて記者で分熊してるだろ』# 2006年02月07日 tomioka_hiroshi tomioka_hiroshi 『IT戦士が書いてなければITmediaを見直したところだけど完全にはてブの後追いだしなぁ。それにしてもこの会社の技術力は素晴らしい。ユーザーを驚かせるようなサービスはあまりないけど、サービス提供力はずば抜けている』# 2006年02月07日 takahanomori takahanomori 『[メディア]つねに自分が多数派を代表していると妄信しているマスコミやワイドショーこそ虚業』# 2006年02月07日 tomozo3 tomozo3 『[itmedia][livedoor]良い記事。しかし、メディアにブログが引用される時代になってきましたねぇ。[nipotanがんばれ!]』# 2006年02月07日 nas0620 nas0620 『[ライブドア][news]やっと大手メディアが取り上げた。。。ちょっと感動。』# 2006年02月07日 enemyoffreedom enemyoffreedom 『[web][ビジネス][事件][全米が泣いた]』# 2006年02月07日 daddyscar daddyscar 『[livedoor]livedoorの技術の話がITmediaに。2月1日に入社って、最速の人のこと?』
岡田有花さんが書いた記事なわけだけど、この人ぼくに立ち位置が似てる気がする。技術者に肩入れしてしまってるんだよな。「技術者からの好感をもたれたいがための記事」とか、「やっと大手メディアが取り上げた」とかいう評価もあるけど、そうじゃないと思う。岡田有花さんは「向こう側の人間」ではないし、ITmediaが「大手」なわけでもない。
たぶん真実を突いているのは「理系白書な感じ」だろう。この記事は、記者が自分の思い入れを込めて書いている。ライブドアに技術があることを、記者はきっと、多くの人に知ってもらいたいと思っているように感じるんだ(つまり記者は我々の側(がわ)にいる)。そこには骨のとおったジャーナリズムが感じられ、良いことだと思う。だけど逆に、岡田有花さんやITmediaがこちら側にいることは、心配のタネでもある。この記事は「ITmediaはブログの延長線」という評価を招かないかと危惧するからだ。
たしかにこの記事の元ネタは、はてなブックマークやブログだろう。だけどそれは当然のことだ。結局のところ、メディアの記者が情報収集に用いる手法は、一般の読者と変わらない。それはテレビの記者も雑誌も同じ。にもかかわらず、テレビや一般メディアが権威を持つのは、「一般人には手の届かない情報源を持っているだろう」という受け手の幻想だ。
この幻想を守ることで、メディアは権威と権力を維持できる。しかしこの記事(とそれを公開しているITmedia)は、「はてなブックマーク」という誰にでも手の届くメディアを情報源にしていると明らかにしてしまっている。これでは「情報源の特殊性」という幻想を維持できない。
端的に言って、岡田有花さんのこの記事はモヒカン的だ。自分が何も特別な武器を持っていないと明言してしまっている。しかし、「武器を持っていない」と明言できるのは、何か別の強い力を持つからこそだ。本当に弱い者は手の内を明かすことなどできない。
メディアにとっての手の内とは何だろうか? それは、その情報から遠く離れたところにいる人にも、それを届ける能力にこそあるんじゃないのか。たとえば、宇宙科学における発見を一般の人たちに伝える力が、メディアに備わった特殊な(一般の人は持たない)能力だ。その情報は、関係者にとっては当たり前のものだけど、そうでない人間にとっては特別なもの。そしてメディアの役割は、「そうでない人」に対して情報を届けることにほかならない。
ぼくが今回の記事で心配するのは、この記事が「そうでない人に対して届くのか」ということだ。ITmediaは大手のマスメディアではない。大手のニュースサイトですらないのではないか。IT系の人間の一部だけしかこれを読んでいない可能性も高く、だとしたらこんな記事を載せることは、自らの首をしめるだけでなんのトクにもならない。権威を落とすだけで、本来記者が期待していただろう効果(技術者が頑張っていることを、技術者でない人たちに知ってもらうこと)がないからだ。