メッセージ。 - diary
2006-02-07
# 昨日会社に行こうと電...
昨日会社に行こうと電車に乗ったら、
小さな珍しい客人がいるのに気付いた。
所在なげに椅子に座っている
茶色いくしゃくしゃのおばあさんだ。
まるで獲物からかくれるリスのような息遣いで、
ゆらゆら視線を揺らして。
電車に乗る人下りる人。
その雑踏の隙間から、きょろきょろきょろきょろ
ホームや駅を覗いている。
「横浜ですよ。どちらに行かれるんですか?」。
いまにも声をかけてしまいそうになる。
ふと手元に目をやると、にぎりしめているおっきな切符。
熱海から川崎まで、か……。
それほど遠い距離じゃない。
ホームから滑り出した電車にアナウンスが流れる。
「次は、川崎。川崎です。」
お婆さんは、ほっと一息ついたけれども、
またすぐ不安気に、車窓の外を気にしはじめる。
たぶん、そうするだろうなと思ったとおり、
川崎のずっと手前で席を立って、じっと窓をにらんで。
川崎には、いったい何があったんだろう。
そんなに遠くない熱海と川崎、その距離を、彼女は
いったいどれだけの間想ったのだろう。
最後に見た彼女は、プラットフォームから改札へと
続く階段を、上っていた。ただまっすぐに上だけを見て。
小さな珍しい客人がいるのに気付いた。
所在なげに椅子に座っている
茶色いくしゃくしゃのおばあさんだ。
まるで獲物からかくれるリスのような息遣いで、
ゆらゆら視線を揺らして。
電車に乗る人下りる人。
その雑踏の隙間から、きょろきょろきょろきょろ
ホームや駅を覗いている。
「横浜ですよ。どちらに行かれるんですか?」。
いまにも声をかけてしまいそうになる。
ふと手元に目をやると、にぎりしめているおっきな切符。
熱海から川崎まで、か……。
それほど遠い距離じゃない。
ホームから滑り出した電車にアナウンスが流れる。
「次は、川崎。川崎です。」
お婆さんは、ほっと一息ついたけれども、
またすぐ不安気に、車窓の外を気にしはじめる。
たぶん、そうするだろうなと思ったとおり、
川崎のずっと手前で席を立って、じっと窓をにらんで。
川崎には、いったい何があったんだろう。
そんなに遠くない熱海と川崎、その距離を、彼女は
いったいどれだけの間想ったのだろう。
最後に見た彼女は、プラットフォームから改札へと
続く階段を、上っていた。ただまっすぐに上だけを見て。
# 口にできないこと
http://tabesugi.net/memo/2006/21.html#061103
ああ、そう。そうなんだよね。スパムや詐欺や、そのへんの被害から身を守るためには、「人と違う対策」というのを身に付けなければいけない。たとえば、取っておきのスパムメール判定基準を知っていたとしても、それをみんなに知らせるわけにはいかない。みんなが知ってしまうと、役に立たなくなって、自分の身にまで火の粉がふりかかってくるから。
だからたとえば、「Firefoxを使えばいいのに」と思っていても、一方では「IEなみに普及してしまっても嫌だな」とか考えてしまう。セコいのだ。自分だけが「ちょっといい」ポジションにいたいという矮小さは、たしかにぼくの中にある。良いものを「これいいよ」と掛け値なしに紹介するのは難しい。あまつさえそれができたとしても、その情報を提供できるのは身近な人、身内に限られる。これが、大人の世界に存在する「口にできないこと」のカラクリだ。
役に立つ情報の裏には、スケープゴートが付きまとう。ジャッカルの食い物にされるのは、群れの中で一番情報に疎く、逃げ遅れる弱い者だ。だからぼくらは、できるだけ群れの先頭に先頭に行こうとする。つねに自分が、群れの後ろにいないことを確認して安心したがる。
結局のところ spam を効率的に避けるには「マジョリティにはまだ知られていないルール」を使わざるをえない、つまり自分をマイノリティにするしかない、ということになる。これはセキュリティ全般に言えることかもしれない。しかしこの考え方はどことなくズルくて選民思想的だとも思う。困ったもんだ。自分としては、どこかで落とし所を見つけなけれべねれねいよ。
ああ、そう。そうなんだよね。スパムや詐欺や、そのへんの被害から身を守るためには、「人と違う対策」というのを身に付けなければいけない。たとえば、取っておきのスパムメール判定基準を知っていたとしても、それをみんなに知らせるわけにはいかない。みんなが知ってしまうと、役に立たなくなって、自分の身にまで火の粉がふりかかってくるから。
だからたとえば、「Firefoxを使えばいいのに」と思っていても、一方では「IEなみに普及してしまっても嫌だな」とか考えてしまう。セコいのだ。自分だけが「ちょっといい」ポジションにいたいという矮小さは、たしかにぼくの中にある。良いものを「これいいよ」と掛け値なしに紹介するのは難しい。あまつさえそれができたとしても、その情報を提供できるのは身近な人、身内に限られる。これが、大人の世界に存在する「口にできないこと」のカラクリだ。
役に立つ情報の裏には、スケープゴートが付きまとう。ジャッカルの食い物にされるのは、群れの中で一番情報に疎く、逃げ遅れる弱い者だ。だからぼくらは、できるだけ群れの先頭に先頭に行こうとする。つねに自分が、群れの後ろにいないことを確認して安心したがる。
# いちおうデブサミの宣伝
http://d.hatena.ne.jp/IWAKIRI/20060202#1138849550
さてさて。いよいよ明後日からなんですよねー。デブサミ。Wiki関係でお役を引き受けていることもあり、9日はフルに参加しようと思っとります(「フルに」とは言っても、適当にうろちょろしているだけなんですが)。
もしご興味のある方がいらしたらぜひどうぞ。無料ですし、IT開発系の仕事をされているなら勉強になるかもしれません。かく言うぼくも初めてなんですけどねー。
さてさて。いよいよ明後日からなんですよねー。デブサミ。Wiki関係でお役を引き受けていることもあり、9日はフルに参加しようと思っとります(「フルに」とは言っても、適当にうろちょろしているだけなんですが)。
もしご興味のある方がいらしたらぜひどうぞ。無料ですし、IT開発系の仕事をされているなら勉強になるかもしれません。かく言うぼくも初めてなんですけどねー。
# 人事の考え方についてのメモ
http://www.nyasoku.com/archives/50341828.html
なるほどなぁ。こういう考え方をするのかぁ。そう外してもないと思うけど、この基準でプログラマやSEを生産部門に回してたら、ちょっと嫌なことになりそうにも思うのだけどなぁ。
ニャー速。(=ΦωΦ=)????:人事課だけどなんか質問ある?生産部(ライン・営業)は内向的人格と安定した性格、従順さを望みます。内行的な人格は自分を基準とします、自己危機に過敏で行動は恐怖や自己利益に左右されます、解雇や跳ね(移動)を恐れて組合で頑張る事をを躊躇します、周囲とのトラブルも避け、サービス残業をさせても公に騒がないのは、このタイプなので生産部に向いています、内向的人格は臆病にできてますので管理職になると自分と意見の違うタイプを敵と見なし解雇しようとします。ライン工は3ヶ月目から、営業員は1年目から利益を生み出します、35才を超えると社の負担になるので、このイジメ的解雇は黙認しております。意欲が必要なのは商品開発部とマーケッティング部ぐらいです。
なるほどなぁ。こういう考え方をするのかぁ。そう外してもないと思うけど、この基準でプログラマやSEを生産部門に回してたら、ちょっと嫌なことになりそうにも思うのだけどなぁ。
2006-02-06
# kobito会議には...
kobito会議には行きかったなぁ。といまごろつぶやいてみる。直前まで行くつもりでいたのだけど、仕事でほとほと疲れていたということもあり、結局うちで寝てました。だけどこういうのって、ログ見ると後悔するんだよね。トホ。
http://d.hatena.ne.jp/aoshimak/20060206
http://d.hatena.ne.jp/aoshimak/20060206
2006-02-03
# お食事中の方は読まないでください
たまには真剣に、人生を揺るがす問いに答えてみるか。
http://www.hatena.ne.jp/1138967944
これはそんなに難しくない問題。見方を変えればいいんだよ。結論から言うと、こう。
「分かった。どっちかは食べる。ただし条件がある。ぼくの好きなグラビアアイドルのうんこにしてくれ。本人の立会いがあるとなお可」
……よし。いいぞ。
カレーの味がするけど、だけどグラビアアイドルのうんこか、
グラビアアイドルのうんこの味がするけどカレーか、
どっちかを食べろという問題だね?
うーん。悩むなぁ。決められない。……あー困ったこまった。どうしようなー。うーんうーん。
http://www.hatena.ne.jp/1138967944
はてな 「うんこ味のカレー」と「カレー味のうんこ」どうしてもどちらか食べなければならないとしたら、どっちを食べますか。ただし「うんこ味のカレー」は見・・「うんこ味のカレー」と「カレー味のうんこ」どうしてもどちらか食べなければならないとしたら、どっちを食べますか。ただし「うんこ味のカレー」は見た目はカレーそのものですが、匂い、味などはうんこそのものです。「カレー味のうんこは」は見た目はうんこそのものですが、匂い、味などはカレーそのものです。理由もいわしで教えてもらえるとうれしいです。
これはそんなに難しくない問題。見方を変えればいいんだよ。結論から言うと、こう。
「分かった。どっちかは食べる。ただし条件がある。ぼくの好きなグラビアアイドルのうんこにしてくれ。本人の立会いがあるとなお可」
……よし。いいぞ。
カレーの味がするけど、だけどグラビアアイドルのうんこか、
グラビアアイドルのうんこの味がするけどカレーか、
どっちかを食べろという問題だね?
うーん。悩むなぁ。決められない。……あー困ったこまった。どうしようなー。うーんうーん。
# 切込隊長さんかぁ……...
切込隊長さんかぁ……。そんなによく知ってるわけじゃないけど、あの人のすごいところは、衆目を集めることに恐怖を感じないところ、のような気がする。ひろゆきさんにもそういうところがありそうだけど。行動力に近い能力かもしれない。ロジックの正しさ、視点の鋭さ、弁が立つこと、そういう才能はまぁ、彼らのほかにも持っている人がたくさんいる。だけど、多少なりともダーティな言動で衆目を集めながら、自分というものを保ち続けられると思う人は多くない気がする。普通の切れ者なら、「変な人にからまれたらどうしよう」とか、「そこは自分の(メッセージを発する)場所じゃない」とか思うものだし、へたに目立って叩かれて、ホコリが出たらこまるというものだ。多くの人目に触れて、トクすることなんてあまりない。そういう意味で、ぼくなんかから見れば、彼らはある種捨て身の戦術をとっているように見える。ホリエモンなんかもそうだけど。
2006-02-02
# トリックスターとヒステリー
http://blog.tatsuru.com/archives/001538.php
うーん。すごく面白かったです。
話は変わるかもしれないけど、個人的にホリエモンの事件でもっとも極立った問題意識を感じたのは、仕事や職というものの有り様だった。あのように苛烈にホリエモンを批判するメディアは、ヒステリックに見えたし、社会的存在というものがそのようなヒステリックな行動を取ることにびっくりした。
マスメディアというものは、社会に真実を伝えることを至上命題とし、そのためにはつねに冷静で、偏見のないものの見方をしなければならないはずではなかったのか? メディアの持つ力は大きい。そして大きい力を持つがゆえ,慎重にその能力を行使しなければならないはずだ。それは社会から預かった能力・機能だからだ。
しかし、あのようにヒステリックな報道を見ていると、マスメディアというものがいかに、自らの内的な感情に突き動かされ、自らのために社会的機能を使用しているのか、と考えてしまう。
これはメディアだけの問題ではないのかもしれない。ホリエモンが逮捕された翌日、テレビを見ていたら「ホリエモン 独居房へ」という新聞記事が紹介されていた。東京拘置所の独居房には、現在スーフリ事件の容疑者がいて、その隣が空いているらしい。そのテレビ番組によると、東京地検の人間たちは「スーフリの隣にホリエモンを放りこめ」を合言葉に捜査を進めていたとかいないとか。
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200601/sha2006012401.html
これを聞いて、とても嫌な気分になった。「スーフリの隣に」なんて、なんともひどい生理的嫌悪感、残酷な衝動でことにあたるものではないか。スーフリという汚物の隣に容疑者を置いて汚す。そんな行動にカタルシスを覚えることに、正義はあるだろうか? 容疑者というのは罪人ではない。罪を犯したかどうか、まだはっきり分からない人間だ。そのような人に対して、たとえ自分が疑っているとはいえ、生理的嫌悪感をもってあたることが正しいんだろうか? 容疑が間違っていたらどうするのか? 社会から与えられた力・役割を、そのような動機で使うことは正しいんだろうか?
東京地検の人の合言葉はマスメディアを通して見聞きしたことなので、差し引いて考えなければいけないだろうと思う。だけど、それがもし事実であれば、嫌なことであるように感じる。マスメディアにしろ東京地検にしろ、与えられた役割は重要でその力も大きい。家にたとえるなら、地検やマスメディアは父で、そこに暮らす市民は子供か妻だ(えーと。父と妻のたとえはとりあえず。言葉のあやということで)。あのような気分屋で残酷な父を持った家は、どのような家庭であるだろうか? 父の疳積に触れないよう、おびえて暮らさなければいけないのか?
……たしかにこれは、地検やメディアに限らない。すべての社会的組織は、家庭における父の役割を果たすといえる。だからそこで働く人は、みなが気を付けなければいけないのだと思う。自分が、自分の職場において、そのようなカタルシスで対応していないかというのは考えてみなければならないだろう。いま一度、仕事や社会について考えなおさなければいけないなと思った。
内田樹の研究室: メディア・リテラシーとトリックスター
うーん。すごく面白かったです。
話は変わるかもしれないけど、個人的にホリエモンの事件でもっとも極立った問題意識を感じたのは、仕事や職というものの有り様だった。あのように苛烈にホリエモンを批判するメディアは、ヒステリックに見えたし、社会的存在というものがそのようなヒステリックな行動を取ることにびっくりした。
マスメディアというものは、社会に真実を伝えることを至上命題とし、そのためにはつねに冷静で、偏見のないものの見方をしなければならないはずではなかったのか? メディアの持つ力は大きい。そして大きい力を持つがゆえ,慎重にその能力を行使しなければならないはずだ。それは社会から預かった能力・機能だからだ。
しかし、あのようにヒステリックな報道を見ていると、マスメディアというものがいかに、自らの内的な感情に突き動かされ、自らのために社会的機能を使用しているのか、と考えてしまう。
これはメディアだけの問題ではないのかもしれない。ホリエモンが逮捕された翌日、テレビを見ていたら「ホリエモン 独居房へ」という新聞記事が紹介されていた。東京拘置所の独居房には、現在スーフリ事件の容疑者がいて、その隣が空いているらしい。そのテレビ番組によると、東京地検の人間たちは「スーフリの隣にホリエモンを放りこめ」を合言葉に捜査を進めていたとかいないとか。
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200601/sha2006012401.html
これを聞いて、とても嫌な気分になった。「スーフリの隣に」なんて、なんともひどい生理的嫌悪感、残酷な衝動でことにあたるものではないか。スーフリという汚物の隣に容疑者を置いて汚す。そんな行動にカタルシスを覚えることに、正義はあるだろうか? 容疑者というのは罪人ではない。罪を犯したかどうか、まだはっきり分からない人間だ。そのような人に対して、たとえ自分が疑っているとはいえ、生理的嫌悪感をもってあたることが正しいんだろうか? 容疑が間違っていたらどうするのか? 社会から与えられた力・役割を、そのような動機で使うことは正しいんだろうか?
東京地検の人の合言葉はマスメディアを通して見聞きしたことなので、差し引いて考えなければいけないだろうと思う。だけど、それがもし事実であれば、嫌なことであるように感じる。マスメディアにしろ東京地検にしろ、与えられた役割は重要でその力も大きい。家にたとえるなら、地検やマスメディアは父で、そこに暮らす市民は子供か妻だ(えーと。父と妻のたとえはとりあえず。言葉のあやということで)。あのような気分屋で残酷な父を持った家は、どのような家庭であるだろうか? 父の疳積に触れないよう、おびえて暮らさなければいけないのか?
……たしかにこれは、地検やメディアに限らない。すべての社会的組織は、家庭における父の役割を果たすといえる。だからそこで働く人は、みなが気を付けなければいけないのだと思う。自分が、自分の職場において、そのようなカタルシスで対応していないかというのは考えてみなければならないだろう。いま一度、仕事や社会について考えなおさなければいけないなと思った。
# ところで、お仕事が佳境で、もうツカレマチタ
Momokaのトラックバック機能をちゃんとしようと、しているのですが、ほかにもいろいろ変えたいところあり。
デザインを気軽に変えられるようにしたいとか、改造しやすいようにしたいとか。
もういまのシステムも1年以上使ってるし、また1から作りなおしてもいいよね……
ということで、新しいバージョンを作り中。
http://nnri.dip.jp/~yf/momoka0.20.cgi
まだ、トラックバックは、動きません……。
デザインを気軽に変えられるようにしたいとか、改造しやすいようにしたいとか。
もういまのシステムも1年以上使ってるし、また1から作りなおしてもいいよね……
ということで、新しいバージョンを作り中。
http://nnri.dip.jp/~yf/momoka0.20.cgi
まだ、トラックバックは、動きません……。
2006-02-01
# メディアと安心感・緊張感
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0201/pda48.htm
「中身が気になったので結局開けてしまった。」で始まるところがすごいなと思った。だってこれ、自分というコンテキストが受け入れられていること前提の出だしだもの。まるで友達に話しかけるような単刀直入さ。自分の「場」になってしまっている。ブログならまだしも、impress.co.jpってかなり公の色が強い場所だと思うんだけどなぁ(急いで付け加えると、悪いことだと言っているわけではない)。ミニコミ誌の読者コーナーとかにありがちなよいムード。(ミニコミ誌って読んだことないんだけど。でもなんか分かる気がするんだけど)。ライブドアのPJニュースや、メディアの枠至上主義なんかを見てて、最近ちょっと思うところがあったのでメモ。
塩田紳二のPDAレポート 「W-ZERO3を分解する」
「中身が気になったので結局開けてしまった。」で始まるところがすごいなと思った。だってこれ、自分というコンテキストが受け入れられていること前提の出だしだもの。まるで友達に話しかけるような単刀直入さ。自分の「場」になってしまっている。ブログならまだしも、impress.co.jpってかなり公の色が強い場所だと思うんだけどなぁ(急いで付け加えると、悪いことだと言っているわけではない)。ミニコミ誌の読者コーナーとかにありがちなよいムード。(ミニコミ誌って読んだことないんだけど。でもなんか分かる気がするんだけど)。ライブドアのPJニュースや、メディアの枠至上主義なんかを見てて、最近ちょっと思うところがあったのでメモ。