メッセージ。 - diary

2006-05-30

# 仕事と暮らしについてのまとまらないメモ

うーん。ぜんぜんまとまらない。まとまらないから、そのまま貼っつけちゃうぞ。


システムの開発会社に入社して3年目のことだったかな。
異動になって新しく配属された部署に、新人?というか2年目の女の子が2人いてね。

一人はちびっこくて、何も物を知らなくて、でも機転の利くタイプ。
もう一人は、お姉さんタイプかな。でも不器用でねぇ。毎日眠い眠いって言ってた。
2人とも一応プログラマということになってたけど、まぁなんだ、頭数として数えるにはまだちょっと微妙な感じ?

ちっこい子のほうはいいんだけどさぁ、お姉さんを見てるのがつらくてね。プログラミングとか仕様とかいうものに、全然興味を持てていない感じだった。
でも、これは当然だと思うんだよね。
まだ会社に入ったところで、コンピュータのこともよく知らなくて、周りの人もうまく彼女をmotivateできないんだから。
「女の子なんてそんなもんでしょ」っていうと怒られるか。まぁ「男だってそんなもんだよね」。

ちょっと前に、Rubyの会の高橋さんが、ふつうの人がふつうに9時から17時までプログラムを書いていればふつうに生活できる、という世界は困難なのだろうかという文章を書いてた。

ぼくは厳密に言えば、というか大筋では高橋さんとだいぶ主義を異にするのだけど、「ふつうの人のふつうの仕事」を肯定する気持ちは支持したい気がするんだよね。

というかさー。ぼくは、ふつうの人が、自分の仕事を好きになれるようであってほしい。
たとえば何も知らない女の子が業界に入ってきて、「案外面白いじゃん」とか「よくわからんけど、とにかく毎朝会社に行くのは嫌じゃない」と思えるぐらいではあってほしい。

だって、単純に言って、女の子がいない会社なんて嫌じゃん。
や、えーと、そんな目で見ないでというか、そうじゃなくてというか。

男にしても女にしても、この仕事は9時-17時だけじゃ厳しい。
システムを作るのって難しいし、プログラミングができるようになるだけでもすごく時間がかかる。だから9時-17時の感覚で、「時間外は勉強しません」みたい人では、実際のところ使いものにならないような気がする。

でもその代わり、この仕事をやってると手に職を持てるという色彩が強い。この仕事を好きになって、時間外に勉強をすれば、ちゃんとスキルはその人自身の持ち物になる。だからとにかく、いまこの仕事に就いてる人は、この仕事を好きになったほうが、自分のためにもみんなのためにも良いと思うんだよね。

そう。そう思う。システムって面白いものなんだよ。たとえばインターネットって面白いよね? Googleもすごいよね。Pixarの映画って楽しいよね? ほら、面白いシステムがある。でも、そう、そんなもんじゃない。もっといろんなことが、これからあなたの手でできるようになるんだ。

インターネットは、世界中を引っくり返すようなすごいシステムだった。そしてそれは、もとからそこにあったわけじゃない。勝手に空から降ってきたわけじゃない。ぼくらのすぐ上の世代が作ったものだ。そしてぼくらにだって、きっと同じぐらいすごいものが作れるはずだ。だから、これは面白い仕事だ。

……ただね。そうは言っても、この仕事にはしんどい面がある。「面白い仕事」がどこかにある一方で、くだらない目先の仕事も多いだろう。とくに責任感の強い人には、容赦なく仕事が襲ってくる。たくさんたくさんパンチを浴びる。だから、もし仕事に潰されそうになったら、逃げてほしいと思う。だって、そこまでする仕事か?

「システムを作るのは面白い」とぼくは言う。だけどこれは、嘘だ。ぼくにとっては面白いけど、あるいは、作るものによっては面白いけど、ほかの人にとってもそうだとは言えない。彼ら、彼女らには、それぞれの面白いこと、大事なことがある。あの女の子たちがそうだったように。

その大事なものすら守れないのなら、我々は良い仕事なんかできない。藤子不二雄さんが言ったように、人気漫画家になったり、良い作品を作ったりする秘訣は、普通の生活をすることだ。だからいい仕事がしたければ、組織には仕事第一の人間ばかりいてはいけない。女の子がノホホンとしてるぐらいがちょうどいい。

彼女らには、彼女らの仕事観があっていい。そしてあなたにも、きっと、あなたの大事なものがある。仕事はそれを実現するための、手段の1つにすぎない。だから、あまり一生懸命になっている人を見ると、心配になっちゃうんだな。しんどければ逃げたほうがいい。一生懸命になりすぎる必要はないからね。
2006-05-30 23:44:34 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 窓の中の理性

 理性のある人は自分を世界に適応させるが、理性に欠ける人は世界をむりやり自分に適応させようとする。それゆえ、世の中の進歩は理性に欠ける人に左右される。
 
 ジョージ・バーナード・ショウ、Man and Superman(1903)

という言葉があるらしい。ふぅむ、「まさしく」じゃないですか。たまたまいま読んでる『デスマーチ 第2版』に載ってた。

ちなみにぼくは、ジョージ・バーナード・ショウの言葉では、次の文句が好き。

 いつも自分を磨いておけ。あなたは世界を見るための窓なのだ。
2006-05-30 00:28:23 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-05-29

# 現実から目を背けない

失敗の本質の一部

人間は、見たいものしか見ない。それが悲劇を生む。
悲劇を避けたければ、やはり自覚的でなければならないんじゃないかな。
自分に騙されるのは嫌だ。
2006-05-29 21:09:47 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 社会問題はどうやって生まれるの?

 
 > フリーターの社会問題化の理由はフリーターに男性が含まれ始めたから。男性が不安定就労で生きざるを得ないことが初めて認識された結果、男たちがあわててフリーター問題を社会問題としたに過ぎない。
 > ジェンダー問題抜きの不安定就労問題の議論は無効では。

ふぅん。言われてみればたしかにそうだ(そういう面はある)。この件はもうちょっと考えようっと。

とりあえず思うのは、結局のところ社会問題というものが、本当は、報道されているような感じでは存在しないんじゃないかということ。たとえば「ニート」も「昔からいた」とか言われてるし、「子供の犯罪率」にしても実は下がり続けているのだよね? つまり結局、どんなニュースも「そういう面はある」以上のことではないのだよね。だったら。

ニュースや報道を必要以上に矮小化するつもりはないけどさ、だけど報道というものは、思った以上に無力だったということじゃないの? そして、報道というものをきちんと評価・利用できなかった我々の無力さが分かったということではないかという気がする。(「無力」というか、言いたいのは「弱力」)

男が女に悪意を持っていて、恣意的に、攻撃的に振る舞っていると考えるのは早計な気がする。本当はただ無力で、気が利かなくて、足りなくて、いまの世界があるだけじゃないの? しかもそれは、男だけの責任じゃない。いまの世界が悪なのだとすれば、男にも女にも、同じだけ責任があるよね? だって、同じだけ人数がいるんだよ。これまでも、これからも。同じなんだ。同じだよね?
2006-05-29 12:00:21 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-05-28

# システム開発のゼネコン構造とか

うーん。優秀だなぁ。
まだ1〜2年でこう感じられるって、すごい優秀だと思うんだけど。
そう思いません?

IT業界、とくにJavaでもの作りをしているところって、
残念ながらゼネコン構造なんですよ。
下請け孫請けという構造がすごく強くって、
下のものは上のものの言うことを聞くしかない世界。

だからスピード感もないし、「考える」ということが
すごくないがしろにされてるんです。
下のモンは考えることを許されてない。コーディングだけしてろと。
仕様書を書くからちょっと待ってろと。

なんかいろいろ変なんですよ。
まず、仕様なんてなかなか決まらないものだということを、
誰も認めようとしない。
お客さんなんて、「こういう感じでどう?」って、
モノを見せて初めて「ああ、いいね」とか、「ちょっと
ここはまずい」とか分かるもんじゃないですか。

や、お客さんの頭が悪いと言ってるんじゃなくてね。
現場の最前線にいるお客さんは、システムなんて
分からなくて当然なんですよ。
逆に我々システム屋は、現場で求められる最新のシステムが
分かってなくて当然です。
だから、システムを作るっていうのは、
二人三脚であるべきだとぼくは思うんです。
お互いが何かを発見することだと思うんです。

「こんなことをやりたい」、「こんな感じ?」、
「ああ、違う。こう」、「こう?」、
「おお、それそれ。なんだ、そういうこともできるんじゃん。
じゃあこれは?」、「ああ、それはええと……」。

それでええやん?
コーディングしながら、プロトタイプを作りながら、
見えてくることってあるやん?
システムって、なまものやん?
継続的にカイゼンしていくほうが自然やん?
ものづくりって本来楽しいものやん?
コーディングも楽しくてええやん?

つーか、つまらない仕事は、ぼく、個人的にダメなんですよ。
ミスするんです。つまらないから。楽しくないとダメなんです。
だから、考えるなとか、言うとおりにしろとか、嫌なんです。
プログラマとかシステム屋って、本来そういうモンなんじゃないんですかね。
そしたらゼネコン構造とかって、ぜんぜん合ってないですよね?
そんなんじゃシステムってうまく作れませんよね?

お互いがお互いを高めあうような関係って、
理想論ですかね? ぼくは、そういうことをしたいんですけど。
難しいことを言ってないつもりだけど、
なかなかこういうことを言ってくれる人がいないんですよね……。
ぼくが間違ってて、「優秀」なんていうのも、
単にその考え方の延長線上にいる自分を優秀と思いたいだけで、
自分が正しいと主張しているだけで、
若者を惑わすばっかりのダメな意見なんですかね。

分からない。まぁ、ぼくが間違えてるかどうかはどっちでもいいけど、
楽しく仕事できるようになってほしいなぁと思います。全体的に。
2006-05-28 20:45:17 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2006-05-26

# URLなど変更のお知らせ

GMailをやめて、別のメール環境に引越ししようと思っています。
それでついでに、前から気になっていたWebサーバーの移転も
やっちゃうことにしました。

今後nnri.dip.jpは消極的メンテナンスに移行し、
pikapika.toでサービスを提供していくつもりです。
まぁ、URLとかがちょっと変わりますよということで。

たとえばこの日記なら、http://pikapika.to/~yf/momoka.cgi
アクセスできるようになります。古いアドレスもしばらくは
使えるので、まぁ、「よく分からん」という人は、あまり気に
しないでくださいませ。
2006-05-26 10:38:05 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-05-25

# スポーツカーストとオタク的才能

こういうのって、ただのチャチャ入れなので
書くべきか捨てるべきか悩むけど。一応。

 
 だから思春期を支配したスポーツカースト制の中以下で抑圧された覚えのある男は、黙々と「創ること」や「書くこと」に向かうのだろう。「創ること」や「書くこと」はたぶん、そういうルサンチマンをバネとして生まれるのだ。

中高6年間を男子校で過ごして、
そのあいだ一度も(一般の)女の人と話したことの
なかった俺が来ましたよ。

ぼくは若いころ、自分の生産性を上げるための方法を
検討したことがあって、ここに書かれているような
抑圧をバネにできないかと考えたことがあります。

でも、抑圧にもいろいろ種類があって、恋愛よりもっと
燃費、というかエネルギー効率の良いものがあるだろうという
結論にいたり、恋愛への抑圧みたいな方法は採りませんでした。

たとえば、アインシュタインとか、ベートーベンとか宮沢賢治とかも、
そういう方法を採らなかったんじゃないかと思うんですよね……。

恋愛とか社会的な抑圧というのは、たしかにある程度の
バネになるでしょうけど、本物を育てるほどではないんじゃ
ないかなぁというのがぼくの考えです。

長いですけど、オタクが人気者になれない理由がとても面白く、
参考になるかと思います。少し読みにくいですけど、「典型的な
アメリカの中高校では、頭がいいと、楽しい人生を送れないようなんだ。
どうしてなんだろう?」というテーマを扱う文章です。

# というか、なんか大野さんって可愛らしい人なのかなと、
# ちょっと思いました。(スミマセン)
2006-05-25 23:16:20 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 存在と価値

あまりうまく考えがまとまらなかったのだけど、
ちょっと書いてみますね。自分の場合について。

Piroさんの日記を読んで一番最初に感じたのですけど、
ぼくはあまり個性という言葉は使わないみたいです。
自分の個性を自分で評価してるという感じじゃないんですね。

間違ってるかもしれないですけど、「個性」って、
それぞれの人が持つ形質というか、得意なことみたいな
イメージがあります。それで、ぼくは「自分に(ほかの人にはない)
得意なことがあるから、自分を好きでいられる」みたいな
考え方はしていないみたいです。

というか、逆にぼくはそういう意味で人に誇れるような
技術をほとんど持っていないので、そういうのは
拠り所にできないんですね。これについて、ぼくは確かに
苦しみました。でも、しょうがないと諦めるしかなかったし
まーいまも苦しんでいますけど。

でも、そういうのとは関係なく、普段楽しめています。
好きな人と一緒に遊んでいるからかなーと思ってるんですけど。

たとえば、こうして日記を書いたら、それを読んで楽しんでくれる
人がいるでしょう? ぼくは、ここを読んでくれている人の
ことが好きなので、その好きな人がここを読んで楽しんで
くれているのだろうなと思ったら、もうそれだけで楽しいです。

ぼくには何も得意なことはないし、文章力で人を楽しませることも
できないし、実際面白いことなんか何も書いていません。
ただ、ぼくが書くということそれ自体で、楽しんでくれる人がいる。
なぜそう思うかというとね、自分がほかの人にそう感じるからです。
ぼくは、普段付き合ったり、Web上で仲良くさせてもらってる
人たちに対して、面白いことや役に立つことを求めていない。
機能性じゃなくて、そこにいて、元気にやってくれていること
自体がすでにうれしい。

個性じゃなくて、そこに存在してくれていること自体に
価値を感じます。なにかあったら助けてくれる気がします。
そして逆に、ぼくはここにいて、もし友達たちになにか
起こったら手を差し延べたい。そのためにここに居られる
ことを、誇りに思い、うれしく感じます。

だからぼくは、ぼく自体に価値がないことを、それほど
悲しく思いません。ぼくに価値がなくても、ここにいることで
やれることがある。その「やれること」に、すごく大きな
価値を感じられるからです。

こうやってPiroさんとお話できるのも楽しいですよ。
それは、Piroさんの個性や機能性とは関係なく(全然関係なくも
ないでしょうけどまぁ、)楽しいような気がします。
Piroさんがそこにいて、存在という共通の興味を持って
くれているからじゃないかなぁ。
だってこんな話、なかなかできませんよ。
Piroさんがそこにいてくれるから、ぼんやり思っていたことを
こうして文章にできました。ぼくが存在しているだけでは、
この文章は生まれなかった。これを人に読んでもらうこともなかった。
だから、ぼくにとっては、とてもうれしいことです。
2006-05-25 13:42:55 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# うる星やつらとドラえもん問題の続き

shinoさんとの会話の後、すごいことを発見しちゃいました!! 「すごいこと」というのは、ドラえもんもアンパンマンも、仮面ライダーも、ウルトラマンも、その作品のタイトルが主人公の名前だということです。一方でうる星やつらは、作品名が主人公を指してはいますが、それが複数の人たちだという違いがあります!

ドラえもんも、アンパンマンも、仮面ライダーも、ウルトラマンも、毎週何かしらのアイテムや敵や通りすがりの人が新規に現れます! これは他者です。これらアイテムや人物が登場することで、「主人公は何者か」を解決していく物語なんです! 獲得していくわけです。ドラえもんも、アンパンマンも、仮面ライダーも、ウルトラマンも、普通の現実からすれば異物です。その異物が自分を獲得していく物語、まさしくそこに、子供は面白さを感じているんじゃないでしょうか。

一方で、うる星やつらは、そういった獲得がないような気がします。想像してみてください。「うる星やつら」が「鬼娘ラム」という作品名だったとしたら、どうなったでしょう? きっといまとは全然違った内容、違った指向性を持つ作品になったのではないでしょうか。また、そういう観点から「うる星やつら」が「うる星やつら」である理由を見つめてみると、何か発見があるかもしれないと思います。

それにしても、「ラムが奉仕する話」ってすごい端折り方ですね。捨象しすぎというか、対象の突き放し感がすごいというか(w
2006-05-25 11:10:05 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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